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2011.05.16

「銭湯」という日常の中の非日常

石神井公園からボトムラインまで徒歩で来る途中、すぐ脇にある風格のある銭湯がこの「富士の湯」だ。
湯につかり幸せを感じるという「日本人」あるいは「ニホン猿」の特権(?)は、滑りに行った際にも例外ではないね。とはいえ、いつもは仕事なりで日常を過ごす。そんなとき、この「銭湯」が侮れない。日常の中にふと非日常を垣間見せてくれる。おもえば湯につかるとき「ほぉふっ」という言葉にもならない吐息をはくのもまた、非日常とまさに「交信」した瞬間を告げる合図なのかもしれない。


水平方向の広がりをもつ日常に対して、垂直(=天空)方向に伸びる非日常。更にその垂直方向に伸びる場所、つまりは「しるしつきの場所」こそ、他でもない「聖なる場所」なのである。教会もそうだし、メッカほか宗教的な中心地もまた天空へと繋がる地点、シンボルだ。日本では多神教ゆえそういう場所がそこいらじゅうにあるのだが、そんな中でも身近なひとつが銭湯と思える。

昨晩も銭湯の暖簾をくぐりました。

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