二の酉
毎年足を運ぶ浅草「酉の市」。
縁起物ってのは読んで字のごとくな訳でして・・・小さいながらも商いをしている身ゆえ大切にしています。「神頼み?」いやいや、こうした祝祭空間でヒトと人とが直接・間接的に“交流(=縁)”するんですね。これが実はその核心部分を成しています。
で、それはこうしたテキヤさん達とも切っても切れないお話。
野暮な近代の理屈でこうしたことを遠のけていると、デジタルの世界と同じになります。清濁併せ呑む、あるいはグレーゾーン、これらがアナログ的な豊かさの根本にあるのだろう、と。
“カネは天下のまわりもの”
入ってきたら使う、使うとまた入ってくる。
これすなわち社会の新陳代謝の基本。
そして、こうした縁日こそが“生(=日常)”というものが“再生”する瞬間でもあるんだね。ひとつの一年が無事終わりまた次の一年の始まりでございます。
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